
- "食"を大切にする心の欠如
- 栄養バランスの偏りや不規則な食事
- 肥満や生活習慣病の増加
- 過度の痩身志向
- "食"の安全上の問題
- "食"の海外への依存
- 豊かな日本の食文化の喪失
"食"をとりまく様々な問題について、日頃から気になっている方も多いのではないでしょうか。
しかし、情報が多すぎるがゆえに、信頼できる情報を選ぶのが難しくなっているのが現状です。ある特定の食品や健康法に飛びついてしまったり、「あれはダメ」「これはヨクナイ」と決めつけてしまい、結果的に栄養や心のバランスが崩れてしまってはなんの意味もありません。
- 参考資料
食育基本法は、平成17年6月10日に成立、同年7月15日から実施されました。
最近、「食育」という言葉をよく耳にすると思います。これは"食"をとりまく様々な問題に対し、私たち個人だけではく、国や地方公共団体が一緒になり立ち向かうために法律が制定されたためです。そして、その取り組みが、「食育」といわれています。
食育基本法の中では「食育」の目的を次のように位置づけています。
食育基本法 第1条総則 「この法律は、近年における国民の食生活をめぐる環境の変化に伴い、国民が生涯にわたって健全な心身を培い、豊かな人間性をはぐくむための食育を推進することが緊要な課題となっていることにかんがみ、食育に関し、基本理念を定め、及び国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、食育に関する施策の基本となる事項を定めることにより、食育に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、もって現在及び将来にわたる健康で文化的な国民の生活と豊かで活力ある社会の実現に寄与することを目的とする。」
具体的には、
- 国民の心身の健康の増進と豊かな人間形成。
- 食に関する感謝の念や理解。
- あらゆる機会と場所を利用した、食に関する体験活動と食育推進活動の実践。
- 伝統的な食文化、環境と調和のとれた食料の生産とその消費等への配慮および農山漁村の活性化と食糧自給率の向上。
- 食品の安全性の確保。
子供たちにとって食育は、生きる上での基本であって、教育の三本の柱である知育、徳育、体育の基礎となるべきものと位置付けられ、様々な経験を通じて、「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てるための大切なものです。
そのため、食育というと、「子供たちのもの」「大人には関係ない」というイメージもあり、学校をはじめ教育機関や国などで やってもらうもの と思われる方もいるようです。でも、食育は子供だけのものじゃないんです!
食育基本法でも述べられているように「全ての国民の心身の健康と増進」のための食育を単に子供の食教育と捉えないでください。また、食育は受け身的に"やってもらうモノ"ではなく、最も身近で大切なのは、家庭での私たちひとりひとりの食育への取り組みなのです。
「食育」という言葉はいつ頃から使われ始めたのでしょうか。
これについては例えば明治時代の2冊の書籍が挙げられています。
一冊目は、明治31年(1898年)に初版が発行された石塚左玄著「食物養生法」です。同書においては、「食能(よ)く人を健にし弱にし、食能く人を聖にし暴にし、食能く人を雅にし俗にするのみならず、食能く人の心を軟化して質素静肅に勤勉し、食能く人の心を硬化して華美喧噪に断行するに至る」と述べるなど、食が人に及ぼす影響が大きいことを強調しています。さらに「嗚呼何ぞ学童を有する都会魚塩地の居住民は殊に家訓を厳にして躰育智育才育は即ち食育なりと観念せざるや」(学童を養育する人々はその家訓を厳しくして、体育、智育、才育はすなわち食育にあると考えるべきであるとの大意)とし、体育、智育、才育の基本となるものとして「食育」の重要性を述べています。
もう一冊は明治36年(1903年)に初版が発行された村井弦齋著「食道楽」です。同書においても、登場人物の会話の中で「智育と体育と徳育の三つは蛋白質と脂肪と澱粉のように程や加減を測って配合しなければならん。しかし先ず智育よりも体育よりも一番大切な食育の事を研究しないのは迂闊の至りだ」と述べており、智育よりも体育よりも「食育」が大切ではないかと指摘しています。
しかしながら、その後暫くの間「食育」という言葉が世間で広く使われることはなかったようです。
食に関する基礎の習得
- 家族などで食卓を囲む機会を増やす
- 親子や世代間におけるコミュニケーションの確保
- 食前食後の挨拶の習慣化
- 箸の持ち方、姿勢、配膳、食べ方など正しいマナー・作法による食事
食に関する基礎の理解
- 買いすぎ作りすぎへの注意。「もったいない」活動の実践。
- 農林漁業の体験活動、グリ-ンツーリズム、家庭菜園、調理講習会への参加。
- 家庭内での食事を通した食文化の継承、豊かな味覚の形成。

